安土桃山
この時代には大桶を作る技術が産まれ、瓶や壺で少量ずつ仕込んでいた頃よりも 生産量が格段に増大します。 またこの時代には異国文化の到来と共に蒸留技術も国内に伝来し、日本における 蒸留酒、つまり焼酎造りの原形もできました。 この頃までは、新酒(しんしゅ)、間酒(あいざけ)、寒前酒(かんまえざけ)、 寒酒(かんざけ)、春酒(はるざけ)と、1年間に5回仕込まれていましたが、 冬期における寒造りが優れていることが明らかになります。 優秀な酒造りの技術集団の確保がしやすい時期であることと、低温で長期発酵 といった醸造条件の上からも、冬に仕込むということが重要視されるように なってきます。
江戸時代
江戸時代には保存性をさらに高めるための火入れ法や、歩留りを良くすると
同時に香味を整え、火落ち酸敗の危険を低くする柱焼酎の混和法など、
日本独自の技術も多く産み出されるようになります。
これらの技術は当時ヨーロッパにもない画期的な処理技術でした。
酒造場の数もどんどん増え、1698年(元禄11年)には全国で2万7千もの
酒造場があったと記録されています。
天保年間には酒造用水の水質の重要性が広く知られるようになり、鉄分が少なく
有効ミネラルに富んだ水が酒造りに重要であることが知られるようになります。
明治時代
明治時代に入ると新政府のもと富国強兵策がとられ、税金の収集を強化し始めた
国は「酒税」もその対象とします。
これにより自家醸造が密造とされ完全に禁止、違法行為になります。
明治15年には酒造場が1万6千に減り、生産量は55万klだと記録されています。
それまでは木樽や小壺に入れて売られていたお酒ですが、明治19年にビン詰め
が行わるようになり、明治42年には1升瓶が誕生します。
この時期に速醸法が編み出され、国立の醸造試験所も開設されます。
化学理論が酒の製造に不可欠の要素として広く認識されるようになります。